『目の見えない人は世界をどう見ているのか 』

『目の見えない人は世界をどう見ているのか 』

はっぴーわーきんブログをご覧の皆さん、こんにちは。利用者のKIです。

今年は気候の変化が急すぎて、体調を崩している方も多いのではないでしょうか? 私もすっかり体調を崩し、思うように作業ができずにブログも間が空いてしまいました。外出もあまりできずにすごしていましたし、今日は本の話をしようと思います。紹介するのは、ロングセラーの新書『目の見えない人は世界をどう見ているのか 』(光文社新書)です。

私たちは日々、五感――視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚――からたくさんの情報を得て生きている。

中でも視覚は特権的な位置を占め、人間が外界から得る情報の八~九割は視覚に由来すると言われている。

では、私たちが最も頼っている視覚という感覚を取り除いてみると、身体は、そして世界の捉え方はどうなるのか――?

美学と現代アートを専門とする著者が、視覚障害者の空間認識、感覚の使い方、体の使い方、コミュニケーションの仕方、生きるための戦略としてのユーモアなどを分析。

目の見えない人の「見方」に迫りながら、「見る」ことそのものを問い直す。

「なるほど、視覚障害者の本か」と思った方、多いでしょう。しかし、本書では「視覚障害」という言葉はあまり使われません。私たちは(障害者である私たち自身からして)障害とは自分の抱えている個人の問題だと捉えがちです。

しかしその考え方は、実は誤りです。現代においては障害は「個人の問題」ではないのです。本書から引用しましょう。

 従来の考え方では、障害は個人に属していました。ところが、 新しい考えでは、 障害 の原因は社会の側にあるとされた。見えないことが 障害なのではなく、 見えないから何かができなくなる、そのことが障害だと言うわけです。 障害学の言葉でいえば、「個人モデル」 から「社会モデル」の転換が起こったのです。「足が不自由である」ことが障害なのではなく、「足が不自由だからひとりで旅行にいけない」 ことや「足が不自由なために望んだ職を得られず、経済的に余裕がない」ことが障害なのです。

伊藤 亜紗. 目の見えない人は世界をどう見ているのか (光文社新書) (p.229). 光文社. Kindle 版. 

本書は「視覚障害者」の持つ障害、つまり社会的な不利益についての本ではありません。あくまで「世界がどう見えているのか」についての本なのです。つまりは本書は本質的には、『障害』を扱った本ではないのですね。

本書では各章で以下のトピックを扱っています。

 『空間』『感覚』『運動』『言葉』『ユーモア』

「空間や感覚はなんとなくわかる、しかし言葉やユーモアはなんの話なのかピンとこない」のではないでしょうか? そうであるほど、この本を読むと面白いと思います。『ユーモア』の章での「回転寿司を食べる時は、どれがどの寿司なのかわからない。だからロシアンルーレット」なんてエピソードは、晴眼者である私にはまるでない発想でした。

あらゆる話題から、こうした「想像もしない世界」にアクセスできるのがこの本書の魅力です。

作者の方の専門が美術学ということもあり本書では美術を扱った話題も多いのですが、中でも印象的なのは『言葉』の章で扱われる「ソーシャルビュー」の概念です。これは視覚障がい者と晴眼者が一緒に美術作品を観賞を行い、対話しながらその内容を共有しあうと言う試みです。

「ぼくたち盲人もロダンをみる権利がある」

伊藤 亜紗. 目の見えない人は世界をどう見ているのか (光文社新書) (p.172). 光文社. Kindle 版. 

――なるほど、これを考える人こそが「目の見えない人」なのか。そう膝を打つものがあります。

本書は私たちと『目に見えない人』、そして『障害』のそれぞれの距離を見つめ直すのに一役買います。ユーモアを交え、新しい視点を次々と見せることで、今まで視力を持つ私たちには見えづらかった『死角』を明らかにしてくれます。当たり前の日常でも、別の見え方は存在するものなのです。

そうして見えたものは、あらためて自分が社会の中でどうありたいのか、考え直すきっかけにもなるかもしれません。

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